都会の廃線を往く――東急東横線旧桜木町駅
かつてそこには、鉄道が走っていた。
JR横浜駅プラットホーム近く、戸塚方面に目をやると駅に届かんばかりに朽ちた鉄橋が佇む。
次の駅、桜木町駅まで伸びるこの高架橋には、かつて列車が走っていた。
東急東横線、横浜ー旧高島町の歴史は昭和3年にさかのぼる。昭和7年には旧高島駅から延伸。桜木町駅が開業を迎える。昭和30年代には複線化がおこなわれ、多くの利用客でにぎわった。みなとみらい地区の開発と併せ、昭和40年代に鉄道敷設計画*1が組まれる。
昭和60年、東急東横直通建設計画のニュースが神奈川新聞の一面で報じられる。その中に盛り込まれていた旧桜木町駅の廃止は、地元野毛の住民らの猛反対を受けた。紆余曲折を経て、2004年みなとみらい線が開業、東急東横線が直通運転を開始する。伴って東急桜木町駅は約72年の歴史に幕を閉じた。雑草が生い茂るプラットホーム。ビルが立ち並ぶなかにポツンとたたずむ廃墟。
すぐ隣を満員電車が通り抜ける。
かつてこの駅を利用していた人は何を思うのだろうか。横浜市と東急電鉄は廃線跡の再利用施策を始めている。
すでに一部が歩道橋になっている。
計画では2016年に完成しているはずだが、進捗は3割程度だろうか。
旧桜木町駅舎の跡地には外国人観光客向けのホテルが建設中である。
いつでも探しているよどっかに君の姿を
明け方の街 桜木町で こんなところにいるはずもないのに
山崎まさよしの名曲、ONE MORE TIME,ONE MORE CHANCEは、地下化前の東横線をモデルにしていると言われている。
名曲を聞きながら、変わりゆく街に思いを馳せるのはいかがだろうか。