日本语が怪レい日本人

À la recherche du futur perdu

高輪ゲートウェイと上野東京ライン

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2020年3/24に暫定開業した高輪ゲートウエイ駅。
管理職のおっさんが考えたようなダサすぎる(個人的感想)駅名公募第130位*1の駅名が付いたことで一躍有名になった駅である。そんな高輪ゲートウェイ駅には、JR東日本の悲願ともいえるある重要な計画が関係していた。

上野東京ラインの構想

上野東京ライン(旧東北縦貫線)、その歴史は戦前に遡る。かつて上野-東京間には貨物車輛や回送が走る回送線があった。
戦後、連合軍専用列車や当時の特急、急行、準急列車によって、東北線東海道線の直通旅客設定もあった。
しかし、1970年代東北新幹線開業に併せ、回送線は新幹線の用地となってしまう。それ以降、東京駅方面⇔上野方面間では並走する山手線、京浜東北線に必ず乗り換えが必要となった。
この区間、特に朝時間帯の通勤ラッシュでは、乗車率が200%を超える*2など、その混雑状況が指摘されていた。JR東日本にとって、東北縦貫線の設置は悲願だったのである。

東北縦貫線開業の遅延

東北縦貫線の構想は東北新幹線の建設が行われていた1970年代にもあった。その証拠に、東北新幹線は高架区間の上に高架線路を継ぎ足せる構造で出来ている。しかし、国鉄の経営難や周辺住民の訴訟問題により、計画自体が大きく遅れた。
2002年、当時の運輸省の答申を受け、JR東日本東北縦貫線の建設計画を発表。2009年を完成目標としていた。
しかし、周辺住民の訴訟*3により、再び着工が遅れる。また、東日本大震災を受け2015年完成予定に変更となる。
2015年3月、東北縦貫線構想から45年の歳月を経てようやく開業した。
この日より、東海道線宇都宮線高崎線常磐線の直通運転が始まった。これによって首都圏近郊の運行体系に大きな変革をもたらした。

東京総合車両センター田町センター

高輪ゲートウエイ駅の周りには広大な車両基地が存在する。これが旧田町車両センター、現在の東京総合車両センター田町センターである。
かつて、東海道線のほぼすべての車両はここに留置されていた。しかし、上野東京ラインの開業により、東北線高崎線の車両センターに、東海道線車輛を留置できるようになったのである。これにより、旧田町車両センターは縮小となった。

空いたスペースは都市開発と新駅開発へ

品川高輪の一等地に空いた広大な土地を、JR東日本は都市開発用地として有効活用した。その最寄り駅として、高輪ゲートウエイ駅が開業したのである。

これからの首都圏の鉄道

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高輪ゲートウエイ駅コンコース
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LCD発車標も海外に来たよう
隈研吾氏デザインの駅舎はまさに近未来の駅である。
上野東京ラインや高輪ゲートウエイ駅がもたらした利便性と未来を象徴するようである。
今後、首都圏の電車はどうなっていくのだろうか。

*1:もともと有力候補だった「泉岳寺」が寺から拒否されたという説もある

*2:http://www.mlit.go.jp/common/000225773.pdf

*3:NPJ 神田駅超高架化差止訴訟 2012.5.15